してまで救うものは

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してまで救うものは

電車の窓に映る自分の顔を見て、「わあ~。おばあさん。どこから見ても、おばあさん」と、驚愕する。
老いた母の顔と重なる。
いつの間にこんなに年を取ったのか。
浦島太郎になった気分。

が、年を取れば取ったで、よいところはある。
無理をしないことだ。
一歩手前でやめる。
頑張り過ぎない。
その、根性なしの自分が、別に嫌でもない。
自分の身のため、自分の人生は自分で守る。

誰になにを言われようが、自分康泰旅行團の人生は、自分でしか守れない。
仮に誰かが、こうしろ、ああしろ、と命令したとして、そのせいで、体を壊したとしたら、
誰が責任を取ってくれる?
オーバーワークは、いたしません。
自分の身をつぶ、今のわたしには、ない。
強いていえば、救うべき対象者は、自分だ。
これが、年を取ったということだ。
さらに余力があれば、まわりのあれこれのお手伝いをいたします。


老老介護で共倒れになったとしたら???
介護を必要とする人を残して、お先にサヨナラするしかないケースもありえる。
「わたしを残して行く気か~」「待っ機票優惠て~」と言われようが、待てないものは、待てない。
だいたい、あなたのせいで、わたしは寿命を縮めたんだから、さらに待てとは、よく言えたものだ。
この場合の、「あなた」は、誰になるのだろう?
似たような年齢であれば、配偶者だろうか。老親だったりして?

???

いつものように、脱線。
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